作者不詳ですが、世阿弥作であろうと言われています。
登場人物は全て架空の人物です。
現在能という、舞台上の現在で生きている男性を演じるため、シテは面を着けません。
また、曲名となっている春栄は子方が演じます。
後鳥羽上皇が北条義時を打とうとして起こした承久の乱における宇治橋合戦で、武蔵国の住人、増尾太郎種直(ましおのたろうたねなお)は、左肩に弓を受けて一瞬退いたところ、弟の春栄(しゅんえい)が敵陣へ深入りし、あえなく生け捕りにされてしまいます。
やがて捕虜になった春栄が処刑されることになったことを聞いた種直は、むざむざ弟を捕虜にさせてしまったことを悔み、自分も捕虜になって弟と共に果てるべく、春栄が捕われている伊豆三島の囚人奉行高橋権頭家次(たかはしごんのかみいえつぐ)のもとへ、家人の小太郎と共に向かいます。
一方高橋権頭は、同じく宇治橋合戦で我が子を亡くしており、それに瓜二つの春栄をなんとか処刑から助けて養子に迎え、自分の跡取りにできないかと案じています。
そこへ春栄の実の兄と名乗る種直が訪れ、春栄と共に処刑されることを求めます。高橋権頭は、囚人との面談は鎌倉幕府から禁じられているものの、特別にものの陰から確認することを春栄に許しますが、「あれは家来で兄ではないので、追い返してください」と突き放します。
それは春栄の兄を思う心ゆえの言葉でしたが、種直は聞き入れず、兄を家来といって追い返すのは逆罪、ならばこの場で腹を切って自害すると高橋権頭に願います。兄の思いに屈した春栄は種直が兄であることを認め、その心に囚人守護も皆涙を流します。
高橋権頭は種直になんとか春栄を助けて養子にしたいことを伝えますが、その時鎌倉から早打ちの使者がきて、箱根を越す前に三島で囚人を全員処刑せよという鎌倉幕府の命令が下ったことを伝えます。それを聞いた種直と春栄は共に死を覚悟して、母へ逆縁の詫びと形見を小太郎に託します。
高橋権頭が刀の柄に手をかけたまさにその時、別の早打ちの使者が、囚人の赦免状があると駆け込み、間一髪で処刑を止まらせます。春栄は処刑を免れ、大いに喜んだ高橋権頭は、養子に迎える酒宴を開いて、種直に一さし舞うように頼みます。
その後、種直、春栄、高橋権頭は親子3人連れ立って、鎌倉へ向かうのでした。
曲の後半、能でクセと呼ばれる部分で、源平合戦で囚われの身となった平盛久が鎌倉へと護送される道中を描いた「東国下り(海道下り)」と呼ばれる謡物からの引用があります。
仏教は西から東へ伝わったこと、中世より人々の信仰が厚かった三島明神と、その本地仏である大通智勝仏(だいつうちしょうぶつ)の地である三島を発って東の鎌倉へ向うことを、盛久の思いになぞらえて、長闇の死の旅路に仏の加護が一縷の明かりを照らして成仏へ導くよう、願う気持ちが込められてい部分と思われます。
文:国東 薫 ※無断転載・転用はお控えください。