ワキの装束で武将の位を見分ける
今回も引き続き最初の演目である、能「春栄」についての解説です。
以前埼玉の料亭 二木屋さんで行ったワークショップで、持っている数珠の房の色で僧侶の位が分かるという話があったのですが、今回の春栄の高橋権頭の装束も知っているとより面白いトリビア的なものがありますか?
能弘さん:
高橋権頭の装束は、梨子打(なしうち)烏帽子*を被ってその上から鉢巻をくくりつけます。武将の役なので兜の代わりなんですが、ワキ方は概ね左側に折れています。これはワキは源氏方の役を演じることが多いからだそうです。
高橋権守など武将の役で使われるワキの装束 |
シテ方は平家も演じるので、その時は右折れになるということですね。
能弘さん:
必ずしもではないようですが、概ねそのようです。烏帽子の形には梨子打と洞(ほら)があって、梨子打は鉢巻きを括り付けて下に落ちないよう糸で留めてしまいます。新しく買ったばかりの時は真っ直ぐになっていますが、わざと折り曲げて左に癖をつけさせ、放置しておきます。そうすると被った時点で既に左折れの形になります。
琢弘さん:
あくまでうちの流儀は、ですけど。
左:洞烏帽子 右:梨子内烏帽子 |
能弘さん:
左は洞烏帽子ですが、右の梨子内と形が違うのわかりますね。梨子打は後ろに少し反っています。洞は全部膨らませて前を凹ませるので、着けると上の方がちょっと突き出したような形に見えます。洞烏帽子は大臣などでよく使って、神官用の烏帽子は別にあります。
前を凹ませます |
静御前が付けている烏帽子もでしょうか?
能弘さん:
静御前は舞う時に金色(流派によって異なる)の烏帽子をつけますが、それも洞烏帽子ですね。
烏帽子はどこで作っているのでしょうか。
能弘さん:
京都に専門店があります。
なるほど、現在でも神職が烏帽子を使いますしね。
琢弘さん:
神職さんの烏帽子とは微妙に形が違って、ワキ方のは他の烏帽子より大振りなんです。
能弘さん:
以前、和紙に漆を塗って自作を試みた人がいたんですが、特にこの模様が難しくて断念したそうです。一旦丸めてぐしゃぐしゃにしてから伸ばしたらよいのではと思ったそうですが、無理だったようですね。
琢弘さん:
このようなヒダがついている奉書紙(ほうしょうがみ)という和紙があって、帝に奏上文で書くようなとても高級な紙なのですが、それを使っていると思うんです。
この黒く塗ってあるのは漆でしょうか。
能弘さん:
そうですね。中も黒いですが、表に塗ったものが染み込んで黒くなっていますね。
琢弘さん:
これ、とにかく硬いんですよね。
能弘さん:
内側に紐がくくりつけてあるんですが、買ったばかりの時はその部分がこめかみに食い込んで痛くてしょうがないんです。最初は烏帽子が外に浮いてしまうぐらいに硬いので、浮かないように紐をぎゅっと押し込んで縛る。そうすると演能中ずっとこめかみを爪でぐりぐりやられているような感じで、とても辛いんですよ。
琢弘さん:
だから新しい烏帽子は最初は短い曲に使ったりします。
烏帽子もやはり消耗品ですか?
能弘さん:
半消耗品、ですね。
どれぐらい持つものなのでしょうか。
能弘さん:
けっこう持ちますが、ダメになると烏帽子の縫いの境目から糸が飛び出て荒れてきます。それと露(烏帽子を結ぶ紐)が汗で腐ってきますね。あるとき、こうやってぐーっと絞めたらブチッと切れて慌てたり(笑)。濡れて腐ってくると、簡単に切れちゃうんです。その時はしかたがないから紐を取り替えて使います。持って15年か20年ぐらいでしょうか。
琢弘さん:
折切れ(烏帽子の折れた部分)のところも割れてきますね。
能弘さん:
これは舞台を見る時に、是非知っておいていただきたいことなのですが、実は烏帽子の種類と露の長さでワキの役の位が分かるんです。位の高い人の烏帽子は、結んだ顎から下の露が長い。一番偉い人は本当に長いので露の先がお腹近くになります。次に偉い人ぐらいになると、一気に胸の上ぐらいまでの長さになる。
作法としてはお辞儀をする時に露が下につくまで頭を下げるんですが、侍烏帽子の露はかなり短いので、相当深く頭を下げることになりますね。逆に唐冠(とうかむり)は主に皇帝に使うので露はとても長い。頭を下げなくていいということですね。
つまり、位の高さによってどれくらい深くお辞儀をしなければならないかということに、露の長さが関わってくるわけですね。
能弘さん:
能の劇中では型的にあまり美しくないので、露の長さでお辞儀の深さを変えたりはしません。ただそういう理由で、露の長さで演じる人物の位や偉さが変わるんですね。
それから「コミ大口」という装束を今回は着けます。これは普通の大口(おおくち)*とは違って、長袴(ながばかま)*の形をよく見せるために袴の中に着けます。
左:通常の大口 |
コミ大口 |
刀は位の高い武将の時には取手に鮫の皮を使ったものを使います。鞘はあまり位には関係ありません。ちなみにこの茶柄の刀は一番山伏に使っています。
下:取手が鮫皮の刀 |
弁慶とか?
能弘さん:
そうですね、黒塚とか阿闍梨の時。葛城の山伏にも。
琢弘さん:
鮫皮(さめがわ)*の取手の刀はあまり使わないですね。
能弘さん:
刀には分厚い鍔(つば)がついているものがあるんですが、座った時に当たって痛いのであまり使っていません。本当は何か決まった役用に使いたいんですが…。
【注釈】
*梨子打烏帽子(なしうちえぼし)
「なしうち」は「萎(な)やし打ち」の変化したもので、柔らかにつくった烏帽子の意。漆を粗くかけ、先を尖らせた柔らかな打梨(うちなし)の烏帽子。近世は縁に鉢巻をつけ、鎧直垂に用いる。
*大口(おおくち)
裾の口が大きい下袴。鎌倉時代以後は、武士が直垂(ひたたれ)・狩衣(かりぎぬ)などの下に用いた。
*長袴(ながばかま)
裾の長い袴。また、足先を覆って、裾を長く引くように仕立てた袴。
*鮫皮(さめがわ)
刀の柄(つか)を巻くのに用いる鮫の皮。近海の鮫でなく、南海の鱏(えい)の一種を輸入して用いる。
〜出典:コトバンク〜
【参考】
〜リンク先:the能ドットコム〜
写真・文:国東 薫
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